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【防災の日】東北地方太平洋沖地震の津波の被害を見て仙台への旅 [雑記]

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2011年3月11日2時46分 東日本に激震が襲った。「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」
私自身は千葉のベイエリアにいた。震源地から離れていたにもかかわらず長く揺れる地震で途中から座り込んだら地面の液状化が始まったのを覚えている。

地震なんてなんてことはなかった、耐震強度を重視する日本建築は一部を除いてさほど被害なんてなかった。
しかし太平洋側の海岸線は津波によって何もかもが無くなっていった。

今回は夏に仙台に旅行しに行き、仙台在住の方に被災地へと導かれた話である。
先に書いておくと、被害を目の当たりにしてカメラなんて言う物を忘れさっていました。写真はない!
ついでに撮るほど俺の心は強くない!文章書いてても涙目なんだからな!

あと長い文章です。


-プロローグ-

仙台、実は3月下旬に「山形で鉄道写真を撮影!寒かった編」の続編「春だ海だ仙石線だ!」を企画していた。
山寺駅での撮影時、頭の上に木に積もった雪が落ちてきて来なければ予定通り仙石線へ行っていたのだが(でなきゃ最終の”はやて”なんか乗らない)。
時刻表とにらめっこしていたリベンジ企画を練っていた震災。

夏に旅行すると決めてたら、たまたま知人Uと「仙台行こうか~」って言う話になった。
さらに、仙台の知人(以下仙台市民さん)が時間を作ってくれ1日目に牛たんツアーが行われた。

そして秋保温泉でのんびり一泊中に「明日も時間取れたから出かけよう」とメールが翌日の予定なんて決まっていない男旅で嬉しいメールだった。

-第一部 仙台と男3人 車の旅-
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仙山線北仙台から男3人の旅が始まった。通ったルートは脳内GPSで補完している。
前日に「明日の予定は決まってませんが松島でも見に行きますよ、きっと」と言うことで松島にGO!

とある交差点で既に私の中で1つの感覚が動いていた「おかしい、松島に行くのにこの道は...」
少しだけ仙台の地理には明るいので(地図をよく読む+施設で覚える派)北仙台から松島へは県道8号(東北新幹線の車両センター方面)を北上するのが最短だと思っていた。
県道8号を南下し国道45号多賀城市方面(ソニー仙台テクノロジーセンター方面)

まぁ案の定、多賀城市、県道23号ソニー仙台テクノロジーセンター前の産業道路へ出た、仙台港北ICあたりから津波の傷跡が見え始めた。
あるのは積み上げられた廃車の山、日産宮城サービスセンターにも汚れガラスのない車が放置されていた。
そう、被災地の現状を見させてくれた、楽しくルンルンというわけじゃない。仙台中心部だって4月まで断水、停電、今でも倒壊の危険性ありな建物もある状態、そこに住んでる人が遊びで見させるなんてことはない。
長年住んでいる人の話というものは興味深いものだ。

-第二部 多賀城市、七ヶ浜町、塩竈市-
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ソニー仙台テクノロジーセンターといえば業務用ビデオカメラのテープで有名な工場。震災直後はこのテープの在庫がなくなり多くのスタジオが慌ててた。
4月までは通行が可能な用にする程度だったが8月の今は建物に損害があるものの車の瓦礫などを見ることはなかった。

七ヶ浜町は太平洋側と塩釜港に面した半島(川のせいで島っぽく見えるけど)
たった数メートルの差で普通の家と瓦礫しか無い場所となっている。コスモ石油の小さなガソリンスタンドだけポツーンとあったのが印象的。
仙台港側に面している浜辺には無数のコンテナが鎮座していた。
レジャースポットであったヨットハーバーがあった花渕浜では津波によって船が住宅にぶつかりかなりの被害が見受けられた、屋根はあるだが壁はないそんな家ばかり。
津波があった、だから昔ながらの漁師は丘の上に住んでいるそんな感じに思えるほどたった数メートル上では普通に家が立っている。
ここから塩竈市までは特に普通の街を走っている感覚だった。

先人の知恵とは素晴らしいものである。仙台港は石油タンクがヤラれコンテナも流されたのに塩釜港では石油タンクは綺麗に現存していた。
仙台市民さん曰く「とにかくこっちに物資を届けて欲しいと何度も言ったら自衛隊が優先的にこっちに来てくれた」と

-第三部 都会もん二人 気がつかず縁切りしてた件-
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松島湾だ~!!不思議、遊覧船乗り場は仮説のプレハブだったけど他のお店いや街自体が普通、津波なんてなかったと錯覚するくらい。
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実際には海岸沿いのお店にも被害があり「津波はココまでの高さでした」とペンで書かれていたお店もあったくらいだが、風鈴が夏だと思わせるだけであった。
地震や津波の威力もすごいが、そこに住んでいる人の復興力というのもすごいと思い知らされた。
ここは観光のお話、本当に被害なんてなかったかのように観光しました。
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海へ突き出てあるお寺「五大堂」う~ん”松島や ああ松島や 松島や”とつぶやいてさっさと撤退。
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後に車内で「縁切り寺」と聞いて落胆したのはまた別の話。切る縁なんてねぇよ!
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縁切る前に瑞巌寺の本堂に行けばいいが行かないのが男の無駄な旅
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石窟群と鰻塚を見てUターン、暑かったそれが敗因。石窟群スゴーイと思うけど地図で見るとその上には普通の住宅街...Googleマップで確認しちゃダメだよ
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笹かま焼いて食って、車に乗車!帰路へ!あれ北上してる。
北上すると仙石線はすごい綺麗な風景の駅「陸前大塚駅」が!電車に乗りながら松島を見られる。しかも堤防と線路一体なので遮るものがなし!という区間なのですが。
そりゃ遮るものが無かったら津波の被害に合うわけですよ。

そして北上して気がつけば東名(とうな!とうめいじゃない)
東名に土地を持っていたそうでそこで車を止めて仙石線を40mほど歩いた。ゲンニョリと刳れた線路は撤去されていた。
東名駅と道路の交差部で「海ってこんなに近かったんだなぁ」建物がなくなったところでポツリと仙台市民さんがつぶやいてた。
たしかに“潮の香りがする水“が目の前に広がっていた。
車に戻ってカーナビを見るとそこは田んぼ。私は海と感じていたがそこは海じゃなかった。

-第四部 さらに北上-
北上すると野蒜がある。野蒜はとあるニュースでとある話を目にしていた。
別にここだけじゃないが被災した列車がある。だから行きたくはない、写真も見たし、話も知ってる。
が、予想とは裏腹に野蒜手前で海側へ右折。野蒜は回避された。

野蒜海水浴場へでた「子供を連れて遊びに来た話」などを聞きながら
浸水箇所に自衛隊が仮説で作った道路を走りつつ、運動公園だった場所に積み上がった材木の山、鉄くずの山、コンクリートの山を見ていた。
胸が一番つらくなったのはあの瓦礫の山を見た時ですね。
その後、作り直された奥松島パークラインを北上、この時既に忘れていたことが迫っていた。


野蒜駅!


-最終部 野蒜駅と忘れたカメラ-
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野蒜駅に来てしまった。前日に鉄道ファンだとバレてたのあるのか定かじゃないが来てしまった。
他の人の撮影姿を見てカメラの存在を思い出した。今までの爪痕を撮影してなかったという思いが湧き上がった。
ここでついに被災地でカメラを手にした。ファインダー?霞んで見えなかったよ?でも撮れてる撮れてる。

野蒜駅は仙石線の中でもなんとも言えな2つの出来事があった。その話をチョットしてみたいと思う。

◇運命の野蒜駅◇
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宮城県の太平洋側を望む長閑で美しいJR東日本仙石線(あおば通-仙台-石巻間)の1つの駅で2本の列車の運命が別れた
単線の為、野蒜駅で上り列車と下り列車の行き違いができる設備の交換駅だった。
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仙台方面上り 第1426列車「普通 あおば通」、下り 第3353列車「快速 石巻」の2本が野蒜駅で交換を行い2時45分に出発した。
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そして1分後の2時46分18秒に東北地方太平洋沖地震が発生した。すぐに停電になったのか野蒜駅の時計の針は2時47分で止まっていた。
・下り 第3353「快速 石巻」列車
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写真は野蒜駅から針生稲荷方を撮影したものである。
下り快速石巻行きは鳴瀬川を渡るための高架となる手前、山を削った小高い丘、針生稲荷の横で停車した。
3両目の車輌に乗客を集め避難誘導をしようとしたが野蒜周辺に済む乗客が「ここは高台だから車内にいた方が安全だ」その言葉で皆そこにとどまった。
そして列車のいる丘にはぎりぎり届かないところで津波は収まった。
女性客の証言では「外は雪が降っており暗く冷え切った車内で一夜を明かすことになった。乗客同士励まし合いながら九死に一生を得た」

だが野蒜駅ではもう1本の列車が出発した。

・上り第1426「普通 あおば通」列車
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写真は野蒜駅から東名方を撮影したものである。
2時45分に出発し東名駅に向かって走行中の普通列車も2時46分に地震を感知して緊急停車した。
こちらは野蒜駅から700m、海岸から1.2kmほど離れた平坦部の住宅街に居た。
JR東日本の規定通り避難誘導を開始し300m北東にある小学校の体育館を目指した。
しかしその体育館も津波に飲まれ数名の命が失われた。
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レピーター(出発反応標識)があらぬ方向を向いている、地上から2.5mはあるぞこれ...
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架線柱が倒れたことで架線がダラリと、電気通っていないとわかっていても触る気にはならない。
シンプルカテナリー式を間近で見た。で東名方面の架線柱が駅から先見当たらないのですが...
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バラスト(砕石)ではなく浜辺の砂が線路を覆ってすでに植物が生えていた。

・2つの列車
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下り 第3353「快速 石巻」列車

大きな地図で見る
上り第1426「普通 あおば通」列車

大きな地図で見る
Googleマップ衛星写真から
車輌の撤去済みだったはずなのと、ボロボロの205系なんて私は撮影できませんので該当地には行きませんでした。
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同時刻に同駅を出発したのに行き先が違うだけでこんなことに。
仙石線が全線開通した暁には「春だ海だ仙石線だ!」のリベンジに出かけるつもりです。

ちなみに航空自衛隊松島基地は川を渡ったところ。
F-2支援戦闘機18機、T-4練習機、T-4ブルーインパルス1機、U-125A救難捜索機、UH-60J救難ヘリコプターなど計10機水没
F-2に関しては6機のみ修復可能らしい。今回の被災とは関係なく12機発注予定でもあったし数機新造するのかな?

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コメント 2

☆カゼ☆

めっちゃ俺の地元やん!
by ☆カゼ☆ (2011-09-01 23:46) 

404

松島は目の前が海なのに1m程度しか波が上がりませんでした。
もしかすると毎回そうならその景観は千年以上変わっていないのかもしれません。
by 404 (2011-09-05 02:04) 

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